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Porsche エクステリアデザイナー
山下周一

唯一の現役日本人カーデザイナーとして、Porscheの哲学をデザインに注ぎ込む

「911はPorscheのDNAそのもの。だから、デザインするのが一番難しいクルマなんです。“進化”と“伝統”という、時にコンフリクトする2つの軸をどう収めていくか。それがPorscheのカーデザイナーの命題」

自分の中の”諦め”という壁を乗り越え、夢を叶える

現在、Porscheで唯一の日本人カーデザイナーである山下周一さん。彼がカーデザイナーを志したのは27歳のころだ。もともとクルマのデザインに興味はあったものの、デザイン学校を卒業後はプロダクトの試作制作会社へ。しかし、会社員時代に出会った2人の人物によって、彼のカーデザイナーの夢は大きく膨らんでいく。1人はマーカースケッチの研修会の講師だった元ゼネラルモーターズの日本人カーデザイナー。そして、もう1人は視察旅行先のドイツで出会った元フォードの日本人カーデザイナーだ。とくに国も言葉も異なる環境で、日本人がカーデザイナーとして働いていることにとても感動したという。

この2つの出会いが彼の夢をさらに膨らませていくのだが、その一方で「いい年だし、お金もないし、英語もできない。今さら勉強しても、僕がカーデザイナーになれるわけがない」と、自分で自分を諦めさせる言い訳ばかりを思い浮かべていたそうだ。それでも溢れる気持ちを抑えきれず、ついに渡米を決意。27歳にして、ようやく夢の第一歩を踏み出した。

カルフォルニアの総合芸術大学「アートセンター」に入学した彼は、ヨーロッパの自動車メーカーに興味があったことから、1年後、スイスの分校に転校。大学卒業後はメルセデスベンツの日本スタジオに職を得て、カーデザイナーのキャリアをスタートさせた。日本スタジオに5年、同社のドイツスタジオに2年勤めた後、上司に誘われてスウェーデンのサーブへ。そして、2006年、日本人としては3人目となるPorscheのカーデザイナーになった。

初代911のDNAを継承しながら進化し続ける

しかし、入社してすぐにデザインを任されるわけではない。自動車メーカーの多くがそうであるように、Porscheも新車のデザイナーはコンペティションで決まる。最終的に勝ち抜けるのは1人。しかも、Porscheの車種は6種類と限られているため、コンペを勝ち抜くのはとても難しく、プレッシャーもかなりのものだという。

「最終コンペまで残って落ちたことは何度も。そのたびに悔しい思いをしています。だから、初めて勝ち抜いたときのことは、今も鮮明に覚えていますよ。隣でがっかりしている同僚がいたので、表情や態度には出さなかったけど、心の中でやったーと思っていました(笑)」

彼が初めてデザインを任されたのは、2009年に誕生したパナメーラのフェイスリフト。その洗練されたデザインに多くのモーターファンが衝撃を受けたクルマだ。その初代パナメーラのモデルチェンジを彼は託されたのである。

「デザインである限り、新しいものを提案しなくてはいけない。それはデザイナーの使命のようなものです。でも、Porscheというブランド哲学もあるので、モダンを追求しつつも『これがPorscheなのか?』と、いつも自問自答しながらデザインするように心掛けています」

そのPorscheの中で、彼が一番好きな車種は「911」だという。911は、1963年に誕生して以来、60年近くもスポーツカーの象徴として君臨する名車だ。そのデザインに携わることは歴史に名を刻むようなもので、それがデザイナーのモチベーションにもつながっていると彼は話す。

「初めてPorsche 911(991型GT3)マーク2のデザインに関わったとき、僕が尊敬するデザイナーたちがかっこいいと褒めてくれたんです。それが何よりも嬉しかった。911は、Porscheの中でもデザインするのが一番難しいクルマです。なぜなら、911はPorscheのDNAそのものだから。その中で、コンフリクトすることもある“進化”と“伝統”という、2つの軸をどう収めていくか。それはとても難しいことで、デザイナー、Porscheの命題だと思います」

「この先もできる限りのアウトプットでPorscheに貢献し続けていきたいし、子どもたちの夢や好奇心につながるなら、僕の経験を伝える場を持ちたいと思う」

夢は生きる原動力。だから人は夢のために頑張れる

彼が27歳で夢見たバケットリストがすでに実現している今、未来のバケットリストには何が記されているのだろうか。

「この先もできる限りのアウトプットでPorscheに貢献し続けていきたいですね。また、最近のPorscheは異業界とのコラボレーションをアグレッシブに展開していて、そこにデザイナーとして参加させてもらうことがあるんです。今まで経験したことがないようなことばかりで、とても楽しくて。だから、今後もそういった機会があったら、積極的に関わっていきたいと思います。あと無限な宇宙にもすごく惹かれるので、宇宙ビジネスに携われる機会があればやってみたいですね(笑)」

また、昨年は「ポルシェ ジャパン」がCSR活動の一環として実施した「Porsche. Dream Together」に参加し、講師として子どもたちに自身の経験を話す機会もあったそうだ。そこで、改めて「子どもは未来を担う世界の宝」だと実感したという。

「夢を持つことは人が生きる原動力になると思う。夢があるから頑張れることもあるし、その夢が実現したら仕事として生きる糧にもなる。仕事にならなくても、夢があるから辛い仕事も頑張れると思うんです。僕の経験が子どもたちの夢や好奇心につながるなら、今後もそういう機会を持ちたいと思いますね」

最後に彼はもう1つのバケットリストを口にした。それは、昨年オープンした「エクスペリエンスセンター東京」へ行くことだという。「ポルシェ ジャパン」の誇りでもある彼が、そのバケットリストを叶える日はそう遠くないはずだ。